杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

畏友佐藤道夫君を送る

 7月15日、畏友佐藤 道夫君が旅立った。同君と私は大学の同級生だった。この昭和26年入学組というのは優秀な人間が多く、司法試験にも現役でたしか7人ぐらい合格したようだ。佐藤君もその一人だったことはいうまでもない。私はどっちへ行こうかフラフラしていたが、「彼らが通るのなら俺も」と奮起一番、翌年何とか通してもらった。

 学生時代に深いつき合いがあったわけではない。ただこの頃、昭和27年の講和を前にして全面講和か単独講和かの議論が盛んだったが、学生大会のようなところで、学生の間で圧倒的な全面講和論を敢然と批判したのが佐藤君で、その反骨ぶりは当時から目立っていた。

 大学卒業後、佐藤君は検事任官、私は法曹界からは少し離れた大学教員の道に進むが、そこは同級生だから、いろいろな機会に一緒になり、旧交のさめることはなかった。なかでも昭和50年代の後半ころ、司法試験の試験委員を一緒に勤めた事があり(彼は司法研修所教官の立場だったと思う)、口述試験(試験官二人一組でやる)で彼と組むと、あとで「オズオズと質問してたね」とか「(質問の)前半は誰でも分かっていることだから、カットしたら」とか例のズケズケ調でやられた。今では愉快な思い出である。

 佐藤君からは著書、「検事調書の余白」(1993)と「法の心」(1997)の2冊をいただいた。表紙を繰ると丁寧な献辞と署名がある。それなのに当時余り熱心に読まなかったのは友達甲斐のないことで、慚愧のいたりである。このごろ読み返すと、いたるところで彼の人間性にふれることができ、なつかしさに堪えない思いをした。

 札幌高検検事長のとき、佐川急便事件にからんで故金丸 信議員を聴取しないで罰金刑にした検察のやり方を批判する文章を新聞に投稿し、のち辞職。参議院議員に転身して二院クラブを経て民主党に入って政治家としても立派な足跡を残したことは人の知る通りである。新聞の論評には「法律家の美学貫く」とあったが、たしかに佐藤君は最後まで法律家であった。すぐれた、花も実もある法律家であった。合掌。

 (弁護士 阿部純二)