杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

テレビ

 大学3年生のころに手放して以来、約10年間、テレビのない生活をしていましたが、先日、久しぶりにテレビを自分の部屋に導入しました。

 当時、テレビのある生活から脱却することにしたのは、2つの理由からでした。1つめは、テレビがあるとついつい深夜遅くまでくだらない番組を見てしまいうという自制が効かない自分の意思の弱さです。意思の弱さは現在でもかわりませんが、現在弁護士の職に就くことになったのも、受験時代を含めテレビのない生活をしていたからこそかもしれません。2つめは、テレビがあると一人暮らしのアパートがその分狭くなる、すなわち、小さなテレビでも置くスペースを考えると1畳くらいは占領してしまうため、その分家賃を無駄にしているんだというある人の論評見て妙に刺激を受けたことです。

 部屋にテレビがないと人に言うと驚かれることが多いですが、実際にテレビのない生活をしてみると、本当に必要な情報はインターネットと新聞により収集可能であり、不都合はまったく感じませんし、むしろ時間を有意義に使えるようになったと思います。

 今回、差し迫った必要性は全くなかったのですが、政府のエコポイント政策につい踊らされ、液晶テレビを買うことになりました。この十年の間のテレビの発達(薄型化やデジタル化)にも驚いたのですが、それ以上に、久しぶりにテレビを自分の部屋に置いてみると、その存在感の大きさに改めて驚かされました。
テレビから発せられる、溢れる位の情報量と騒がしい音の大きさは、慣れない身としては辟易するほどです。しかし、それでもやはり、テレビがあると、(物珍しいためもあってか)ついつい見てしまうのです。
また、ブラウン管から液晶の薄型になったとはいえ、見ていないときは、真っ黒の物体がどーんと部屋に出現するわけであり、その物理的な存在感は、これまでテレビのない部屋になれてしまった身としては実に大きく感じられ、部屋が格段に狭く感じられるのです。

 結局買ってしまったものはどうしようもないので、テレビの共存生活に慣れ、うまく付き合えるようになるまでは、とりあえずは目立たない保護色の布のカバーをかけ、必要のないときには見ないように、また、簡単には見れないようにして置くことにしました。

 (弁護士 三橋 要一郎)