杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

入院

  私は、昨年9月から今年の7月まで、前後2回にわたり約10ヶ月間東北大学病院に入院した。この間多くの方々にご迷惑をおかけし、また同時にご心配を頂き感謝に絶えない。お陰様で本年7月末無事退院し、多少なりとも仕事ができるまでに回復した。そこで、これまでの経過を振り返り反省とともに、これからの生活の資としたい。

  私は今まで3回の大病を経験した。最初は平成15年1月大学病院血液免疫科に悪性リンパ腫で入院した。悪性の中でも悪質で進行も早いとの絶望的な診断であったが、CHOP、リツキサンの点滴、プレドニンの大量投与などを継続した結果、劇的に回復し、同年3月に退院、以降現在まで再発・転移もなく寛解状態となっている。2回目は平成18年6月大学病院泌尿器科で前立腺ガンと診断され、PSAは6.3ということであった。放射線科とも相談の上、同病院が独自に開発したという放射線治療(最近なかにし礼の食道ガン治療で効果を発揮したという陽子線治療と似ている)を通院で行い、平成19年5月にはPSAが0.008まで下がり、その後も0.09程で安定している。現在経過観察中で医師からは再発のおそれはほとんど無いと言われている。3回目は平成22年3月急性心筋梗塞で大学病院循環器内科に入院、カテーテル検査をしてステント治療を行った。その後再狭窄があり、平成23年6月入院して再度ステント治療を行った。入院は何れも10日程度で入院中右瞼の診察を神経内科で受けた。

  上記のとおり、命に関わるような病気を3回も経験したので、それからは健康には注意していたつもりであった。平成23年9月16日夕方、歯茎から出血があるので念のため近くのかかりつけの医院に立ち寄った。ところが血小板の数値が2000と異常に低く、救急車で大学病院に搬送され即日入院となった。血免科、循環器内科、神経内科合同で検査の結果、「特発生血小板減少紫斑病(ITP)」と診断された。つまり発病の原因が不明である(特発性)のに血小板が異常に減少し、皮膚等に斑状の出血を起こす(紫斑)病気というものである。私の場合、血小板に対する「自己抗体」ができ、血小板を破壊するということのようであったが、何故「自己抗体」ができるのか不明であり、難病指定となっている。幸いステロイド療法(プレドニン)等により軽快し、入院19日で10月初め退院した。ところが10月10日頃から歩行が困難となり、10月13日血免科外来の診察で即日入院となり、血免科から神経内科に転科して治療を受けた。10月18日からほとんど歩けない状態となり、当初「ギランバレー症候群(GBS)」が疑われた。しかし単なるGBSまたはその一類型である急性炎症性脱髄性多発根神経炎(AIDS)であれば再発はほとんど無く、1~3週間でピークを迎え、だんだん軽くなるところ、私の場合、免疫グロブリンの注射等にも関わらず、再発を繰り返した。結局「急性」ではなく「慢性」の末梢神経系の「炎症性脱髄性多発根神経炎(CIDP)」と診断された。CIDPも難病指定であるが、症状は徐々に改善され、今年の2月20日神経内科からリハビリ科に転科し、機能回復に努め、5月末頃から何とか車椅子での通院が視野に入ってきた。

  しかし私は難病指定の症状が2個も同時多発的に発生し、結局その間の関連が不明のまま推移した。私は多くの方におかけした迷惑と励ましに応えるためにも何とか歩いて退院したいと決意し、文字通りリハビリに専心した。その結果病院スタッフのご支援によって7月27日、何とか歩いて退院するまでになった。本当に関係者の皆様に感謝するしかない。私は入院中、人生についても、仕事についても考えることが多かった。偶々10月7日の日経新聞「私の履歴書」で根本英一先生(2010年のノーベル化学賞受賞)が「幸福の4条件」について書いておられた。その第1は健康、第2は家庭、第3にプロフェッショナル(仕事)、第4にホビー(趣味)というもので、そのままを私の今後の「人生の指針」として過ごしたいと考えている。

(なお、医学用語の部分は私が資料を読んで私なりに解釈し、表現しているので間違いや不正確な部分があると思います。)

(弁護士 阿部 長)

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