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杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

海と風と町と

 あの忌まわしい大震災から3年が経つ。

 先日、自宅で書類を整理していたら、一冊の写真集と古い新聞が出てきた。 写真集は、震災の年である2011年の10月1日付で「みやぎの思い出写真制作委員会」が震災からの一日も早い復興を願って発行した「海と風と街と」と題された震災前の宮城県内被災地8市7町の、文字どおり海と山と街並みの、色んな風景を収めた120ページに及ぶカラー写真集であった。そこには、私もかつて何度か目にした懐かしい風影が随所にあり、何とも言えない胸を締めつけられる思いであった。

 一方、古い新聞は、震災の翌々日である2011年3月13日(日)付日本経済新聞である。

 一面の最上段見出しには大文字で「3県沿岸壊滅状態」縦見出しは「死者・不明1200人を超す」「津波被害、救援始まるる」「避難21万人」とあり、一面左上には「福島第1原発炉心溶融か」「放射性物質を検出」とあって、菅直人首相がヘリコプターで被災地を視察したことも報じている。

 全部で16面の新聞は2面以下も殆ど地震、津波、原発事故に関する写真や記事で埋められており、まざまざと当時の緊迫した状態が思い出されるものであった。

 震災の発生した午後2時46分には私の事務所も全員執務中であった。マグニチュード9.0という世界最大級の地震のため事務所内のロッカーや本棚の殆どが倒れ、ビルが倒れないのが不思議な程であった(丁度地震が発生した時エレベーターから下りて事務所ビル前の路上にいた佐藤裕一弁護士は、本当にビルが倒れると思った位大きな揺れだったと述べている)。とりあえず全員で近くの公園に避難し、地震が静まるのを待ってから、真っ暗な非常階段を6階まで昇って事務所に戻り、夫々家路についた。

 しかし交通は混乱しており、停電・断水状態となったため当日家に帰れなかった人や、何時間もかけて雪の降る夜道を歩いて帰った人もいたことを後で知った。

 結果的に今回の震災・津波等により死者・行方不明者は2万人近くという大惨事となってしまった。

 裁判でも、石巻の日和山幼稚園、山元町の東保育所、七十七銀行女川支店の案件につき、行政・民間事業者の安全配慮義務が争われており、石巻の大川小学校の案件も近く裁判が開始される。

 因みに本年、警視庁は創立140周年を記念し、全職員5万人を対象に重大事件を選ぶアンケートを実施したところ、1位はオウムの地下鉄サリン事件であったが、東日本大震災は、あさま山荘事件(3位)、3億円事件(4位)、世田谷一家殺害事件(7位)、西南の役(9位)等を押さえて2位だったそうである。今回の震災が如何に大きなものであったかを感じると共に、一日も早い復興を希わずにはいられない。

(弁護士 阿部 長)

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