杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

懐かしい古い顔

 昨年の12月、梅津昭一さんが亡くなったとの報せを今年になって聞かされ、一寸ショックであった。

 梅津さんは昭和5年生まれ、旧制仙台一中から旧制二高最後の新入生として同校の理科にトップで入学したという秀才であった。戦後の学制改革により旧制二高は新制東北大学の教養部となったが、梅津さんは学部進学の際、大学を一時休学され、すし屋の職人となった。二高生のすし屋ということで商売も流行ったそうだが、梅津さんは一転して法学部に転入学して昭和36年3月同学部を卒業、同年司法試験に合格、第16期司法修習生となり、昭和39年弁護士登録をして仙台弁護士会に入会した。私との付き合いは、私が1年遅れて第17期修習生として仙台修習を始めた時からである。主として酒の上での付き合いで、昭和43年から当時広瀬通にあった中央タクシービル2階に事務所を借りて、看板は別々であったが、費用折半で同じ部屋で法律事務所を開いたのであった。昭和46年から一番町の中田ビル2階に一緒に引越しをして部屋は別々となったが、以後何かにつけ共同歩調をとって弁護士生活を続けてきたのであった。中でも、一番年嵩の佐藤昭雄さん(16期)を大将格にして、一番若い菅原英樹さん(20期)に我々2人、合計4人でよく飲み、よく遊んだことは忘れられない。4人の家族も加わって毎年のように海の家などに出かけていたが、昭和60年に菅原英樹さんが亡くなって旅行会も中止されてしまった。そのうち平成11年に梅津さんが突然弁護士登録を抹消して、家に引き込んでしまい、平成13年に佐藤昭雄さんが亡くなってからは交際も殆ど無くなっていた。糖尿が大部進み、寝たきりに近い状態とは聞いてはいたが、やはり亡くなったとの報せはショックであった。暫くぶりに訪れた裏山本丁のお宅に飾られた梅津さんの祭壇の写真は、昔の微笑んだ良い顔であった。

 一緒に遊んだ4人の仲間で残ったのは私1人になった。今は昔、みんな懐かしい古い顔である。

 (弁護士 阿部 長)