杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

雪の魯迅教室

 「春は名のみの風の寒さや・・・・・今日も昨日も雪の空」という早春賦の歌詞がピッタリのこの頃ですが、もっと寒い頃、久しぶりに東北大学の魯迅教室を訪れる機会がありました。

 魯迅が仙台医学専門学校(東北大医学部の前身)に留学のため仙台にやってきたのは明治37(1904)年、日露戦争の最中でした。やがて、祖国のためには人々の肉体の改造より精神の改造が必要だと医学を捨てて文学を志し、明治39(1906)年仙台を去った経緯は、その自伝的短編「藤野先生」に描かれているとおりです。

 魯迅教室といわれるのは仙台医専第6号教室で、当時としては最新式の階段教室でした。その後、改造・移築を繰り返して現在は東北大学本部(もとの理学部)うらの庭に瀟洒なたたずまいを見せています。

 ところで昨年は太宰 治の生誕100年でいろいろな催しがありましたが、河北新報も夕刊にかつて(終戦後すぐ)連載された「パンドラの筺」を復刻連載しました。これが好評だったのか続いて連載されたのが「惜別」で、「惜別」はよく知られているように、「藤野先生」を下敷きにした東北の北の地方からきた田舎学生と清国留学生周樹人(のちの魯迅)との友情物語です。戦争中の昭和19年から20年に書かれているので戦時色はありますが、やはり太宰らしい面白い作品となっています。この作品で、仙台人にとって面白いのは当時の仙台の様子が活写されていることですが、細かいところは引用しきれませんので、是非本で直接ごらん下さい。太宰は、この小説のため昭和19年12月ころ仙台にきて河北新報社等に日参して材料を集めたそうですから、そう与太はないはずです。

 魯迅教室で階段式の椅子に座るとしんしんと寒く、魯迅の頃も寒かったろうなーと思いを馳せた次第でした。

 (弁護士 阿部純二)