杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

1年の長さについて

 昨日で6月が終わり、今日から7月に入りました。今年も半年が過ぎたことになります。ついこの前お正月を迎えたと思っていたのに、この時間の流れのもの凄い速さは何なのでしょうか。

 以前こんな話を聞いたことがあります。「時間の流れはそれまでに生きてきた時間との比例によって速さの感覚が決定される。」つまりは3歳の子どもにとっての1年はそれまでの人生の3分の1ですが、60歳の人の1年は60分の1なので、それまで生きてきた時間の感覚との対比でいうと60歳の人の1年の方が極めて早く感じられるというものです。確かに子どもの頃の日々は様々な新しい経験に溢れていて、日常の時間がゆったりと流れていたように感じていました。この時間の感覚の説はどこで聞いたのかも覚えていませんが、今までで一番しっくりと納得できる説明だと思っていました。

 一方僕の好きな作家である村上春樹の「風の歌を聴け」という第1作品には死と進化論についての次のような会話があります。

 「何故人は死ぬの?」

 「進化してるからさ。個体は進化のエネルギーに耐えることができないから世代交代する。もちろんこれはひとつの説にすぎないけどね。」

 この仮説が科学的にどう評価されているのかは門外漢の私には到底解りませんが、この会話の内容もとても納得のできる説明でした。村上春樹によれば宇宙自体が進化しているのだそうです。そこに何らかの方向性や意志が介在しているかはともかく、宇宙は進化しているし、僕たちもその一部に過ぎないのだそうです。

 この二つのエピソードには、年齢を重ねた人の時間的感覚という主観的問題と、宇宙の進化のエネルギーに個体が耐えられないという客観的問題が全く違う角度から語られているように感じました。

 確かに、僕たちは宇宙の中では極めてちっぽけな存在なのかもしれません。そして歳を取る毎に1年間は短く感じられるような存在なのかもしれません。しかしながら現実の生活の日々の中で感じられる楽しさや幸せ感は確実な手触りのあるものです。徒らな時間の速さに流されることなく、結局は一日一日を大切にして生きていくことが必要なのだと感じています。
先週は妻と愛犬ミントと一緒に福島県羽鳥湖畔の「レジーナの森」という施設に一泊で遊びに行ってきました。温泉やドッグランも整備されたワンちゃんも一緒に泊まれて遊べる施設です。信頼しきっている家族と一緒に過ごす週末の楽しさ。美しい風景とおいしい食事、そして楽しい語らいと触れあい。そこにはどんな理屈も説明も要らず、時間も空間も超えた幸福感が満ち溢れていました。

 ところで1歳半のミントにとって1日の長さはどれくらいなの?

 (弁護士 佐藤裕一)