杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

65年前の夏

 8月といえば、何といっても思い出されるのは昭和20年8月15日のことです。65年前ですから、当時5歳の人が今70歳、戦争の記憶が段々と薄れてくるのもやむをえないことでしょう。

 私の育った地方は、空襲も受けず比較的戦争の被害の少ないところでした。それでも19年の秋には学童疎開(東京の小学生を地方の学校が分担して引き受ける)がはじまり、小学校(当時は国民学校)は二部授業となり、急にあわただしくなってきました。20年に入ると戦局は緊迫、3月には東京大空襲があり、子供心にも日本は勝てるんだろうかと不安でした(仙台の人にとっては、7月10日の仙台空襲が今でも痛切な記憶となっていることはいうまでもありません)。

 4月に中学(旧制)に入学、恐れていた(軍事)教練はあまりなく、勤労奉仕も上級生は京浜の工場に行っていたようですが、1年生は近郊の山で松根油堀りということで班を編成して待機していました。松根油というのは、現在の科学ではどうなのか知りませんが、当時は松の根から抽出して採れた油が飛行機などの燃料になると信じられていたのです。しかし私の班は出発する前に8月15日が来てしまいました。

 8月15日は、カンカン照りの暑い日でしたが、重大放送があるというので地元に残っていた者が校庭に集められ、全員が頭を垂れて終戦の詔勅をお聞きしました。言葉が難しい上にスピーカーの調子が悪かったこともあって、内容をよく聴き取ることはできませんでしたが、どうやら戦争が終わったらしいことを感じ、何ともいえない解放感に包まれました。そしてそのことを後ろめたく思ったことを憶えています。

 私の戦争体験など採るに足りないものですが、あれから65年、私にとって昭和20年8月15日というのは、やはりそこからものを考える基点として欠かせないものになっています。

 (弁護士 阿部純二)