杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

雑感(高齢者問題について)

平成が終わり令和となった。

日本にとって平成の時代は戦争のない平和の時代であった。

しかし、災害の多い時代だったとも言われている。

何時の時代でも災害は有るものだが、確かに平成の時代には大きな災害が多かったのは事実である。

しかし、それは日本が殊更、災害対策を怠っていたというよりも、全地球的規模による環境の変化が大きな原因ではなかったかとち思う。

現に、南海トラフの巨大地震は何時起こっても不思議ではないと言われているし、日本全国どこでも異常気象といわれる現象があり、最早異常とは言えない気候が日常となっている。

大地震は起きるときには起き、大雨は降るときには降り、大風も吹くときには吹く。

これらは、ある程度予測できるにしても、全く止めることは出来ない。しかし、地震でも、大雨でも、大風でも何時までも続くということは無い。だから結局は、我が身を守ってジッと終るのを待つしか無いのだろう。

しかし、そんなこと許り言っておれない事の一つに高齢者の問題がある。

卋上、高齢者による車のアクセルとブレーキの踏み違えによる事故とか、子の引きこもりに関する8050問題とか、老後資産2000万円問題とか色々言われている。

人は生きている限り、だれでも平等に年をとっていく。例外は無い。

年をとれば老齢となり、運動能力も認知能力も衰えてくる。

つまり老化する。人によって差はあるだろうが、それは程度の問題だろう。

これらについては、高齢者免許制度の創設(運転できる地域や、時間帯、車種を自動ブレーキ付に絞るなどの限定条件付き免許制度など)とか、都道府県にある「ひきこもり地域支援センター」あるいは市町村の「生活困窮者支援窓口」の利用とか色々対策はとられているが未だ十分とは言い難い。

又、2000万円問題にしても、私は金融庁の報告書を全文読んだわけではないし、その基となったという厚労省の資料に当ったわけではないが、テレビや新聞等による限り、長寿社会が進むなか、老後資金作りの自助努力をどう進めるのか、その制度化に向けての叩き台にしたかったということの様である。

そうであるなら政府も自分で諮問しておき乍ら、それに対する報告書を受けとらない等という対応ではなく、報告書を受けて「人生100年」に向けた正面からの議論をすべきものであろう。

因みに高齢とは何歳からか調べてみた。

1 55歳以上とするもの

  高齢者等の雇用の安定に関する法律第2条

  同施行規則第1条

2 60歳以上とするもの

  高齢者の居住の安定に関する法律第52条

3 65歳以上75歳未満とするもの

  高齢者の医療に関する法律第32条

  前期高齢者交付金

4 70歳以上とするもの

  道路交通法第108条の2

5 75歳以上とするもの

  高齢者の医療に関する法律第50条

  後期高齢者

6 具体的な年齢を特定していないもの

  福祉用具の研究開発及び普及の促進に関する法律第2条

  長期優良住宅の普及の促進に関する法律第2条

  水産基本法第29条

  持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律第2条

などがあり、結局、制度の目的によって高齢者の位置づけは異なっている。

一般的には、

  0歳~14歳 年少人口

 15歳~64歳 生産年齢人口

 65歳~以上  老年人口

と言われている様で、

これを更に日本老年学会、日本老年医学会の提言では、

 65歳~75歳 準高齢者

 75歳~89歳 高齢者

 90歳~以上  超高齢者

としている様である。

そのうち超高齢が超でなくなる時代が来るのであろう。喜んでは許りはおれないのである。

(弁護士 阿部 長)

旅の始まりはロストバゲッジ

かつて経験のない10連休があり、新時代令和を迎えました。
平成生まれの私にとってはこれまた経験のない改元という出来事に、不思議な高揚感を覚えました。
などと言いつつ、私は時代の変わり目をタイのバンコクで過ごしていましたので、そのことについて書かせていただきます。
ただでさえどこも混雑必至のGW。予定を決めなくてはと焦りつつ、2週間前時点で何の予定もないことに悲鳴を上げ、大学時代からの友人A氏に助けを求めました。
快く誘いを受けてくれた彼とタイに行くこととなったのです。

夕方に成田を発ち、香港経由でバンコクのスワンナプーム国際空港へと降り立ちました。
到着は深夜0時頃(時差2時間なので日本は既に2時)で一刻も早くホテルで寝たいところ、私のキャリーバッグがなかなか流れて来ません。
「はて何事か」と待っていると、『下記の人はスタッフにお問い合わせください(英語)・・・SHIROTO YUSUKE』という張り紙のある箱が流れてきました。
ふむ。どうやら私の荷物は何らかの事情によりここにはないようです。
空港のカウンターに行ってみますが、私の英語力ではイミグレーションを切り抜ける以上のことは不可能です。できません。
しかし、海外出張が多く語学力も優れているA氏は、なんなくスタッフとやり取りして事態を収束させました。
すなわち、A氏と一緒に旅行すれば自分は最小限の労力で楽しめるしトラブルにも対応できるのではないか、という私の目論見は、いきなり功を奏したのです。
私のキャリーは経由地の香港にあり、届いたら空港の方でホテルに届けてくれるそうです。

気を取り直して(実質)1日目。
昨日のトラブルで就寝は2時過ぎだったため、遅めのスタートです。
この日はバンコクの王宮と三大寺院を回りました。
メインのワットプラケオと王宮は入場制限にかかり拝観できず・・・ワットポーとワットアルンに行きました。
巨大な寝釈迦仏や精密な柄の仏塔群は圧巻で、1日中見ていても飽きません。
しかし、気温約40℃の中、我々の活動限界時間が非常に短かったため、足早に撤退です。
夕方からはタイスキを食べ、シンハービールを飲み、その後ムエタイを観戦しました。
ところで、ちょうどこの数日後に新国王の戴冠式が予定されていたため(帰国後知りました。)、街には100mに1つくらい祭壇のようなものが設置され新国王の肖像と大量の花が飾ってありました。

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続いて2日目。
アユタヤ遺跡に行ってきました。
鉄道(約1時間半)で行こうとしたところ、駅にいた観光案内スタッフとやらが親切に電車の時間や乗り方を教えてくれます。と思ったら、「・・・というように、鉄道で行くとこんなに不便だし向こうでの移動も大変だ。そこでタクシーをチャーターするとこんなに快適さ!」という話に。まったく、実に油断なりません。我々はそのチャータータクシーを利用してアユタヤへと向かいました。
アユタヤでは有名な遺跡群を巡り、象に乗り、水上マーケットをぶらつきました。
遺跡はビルマの侵攻により大部分が壊されてしまったそうなのですが、退廃的な古代遺跡感が白戸の感性を揺さぶり、最高でした。
象ライドはいかにもタイの観光客という感じですが、定番だけにいい思い出になるのでおすすめです。
この日もたいへん暑く、座ってコーラばかり飲んでいた気がします。
A氏は近年体力と忍耐力が減少傾向にあるため、私が遺跡にキャーキャーいってるなか、「waiting for you」と言い残し日陰に座っていました。

余談ですが、バンコクはタクシーがとても安いため観光客の足として有用です。しかし、観光客に対してはメーターを回してくれず、相場の数倍の金額を要求してきます。都度交渉が必要なうえに相手も強気なので移動が結構大変でした。

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3日目は街中でお買い物です。

お土産品としては象グッズ、トムヤムクンやガパオライス等のタイ料理の素、ドライフルーツがメジャーどころのようです。
JIM THOMPSONというタイを代表するタイシルクのブランドがあり、せっかくなので象のネクタイを買いました。
夜は旅を締めくくるべく、夜景の見えるルーフバーで一杯。

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旅は人を大きくすると言われます。
異なる価値観や環境に触れることで気がつくことも多いですし、普段の自分の生活を少し離れたところから見つめ直す機会になったりもします(私は旅先でよく考え事をします。)。
海外旅行経験が少ない私には今回の旅は大きな刺激になりましたし、A氏に頼りきりで自分一人では何もできないことにも気づかされました。
少しは自分で苦労するべきでは?と思い、少し英語を勉強して一人旅に出てみたいなあと、既に気持ちは次の旅へと向かっています。

(弁護士 白戸祐丞)