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杜(MORI)の 四季だより

杜の都、仙台に事務所を構える弁護士法人杜協同の弁護士たちが綴るリレーエッセイ

柿の木のある風景

弁護士 阿部 純二

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 正月の果物といえばミカンでしょうが、干し柿は年取りの膳に並んだり正月のお供え物になったりしますから、柿の話題もまったく季節はずれではないでしょう。最近出た坪内 稔典さんの「柿日和」(岩波書店)を読んで柿のことを書きたくなりました。

 誰でも知っているとおり、柿には甘柿と渋柿があります。甘の代表として富有柿や次郎柿があり、もっとも一般的な渋柿としては平核無(ひらたねなし)がありますが、これは採れる土地によって庄内柿など土地の名前が付いていることが多いようです。だいたい西が甘地帯、東は渋が多いようで、私も東北の人間として渋抜きの柿を食べ慣れていましたので、初めて富有柿を食べたときはとてもおいしく感じました。

 渋を抜くことを「さわす」といいますが、これまた誰でも知っているとおり、湯につけたりアルコールを用いたりします(湯ざわし、焼酎ざわし)。甘柿は木になっているうちに甘くなるので、木ざわしともいわれます。渋を抜くと言っても、渋の成分であるタンニンを果肉内で凝固させるだけです。それだけで人間の舌は渋みを感じなくなるのですね。何となく人生、人の成熟のあり様に通じる話ではないでしょうか。

 いったいに柿は不思議な果物で、白桃やマスカットやメロンなど味では敵わない果物はいっぱいあるのに、日本人にはカルト的な人気があります。坪内さんも言うとおり、日本人は柿の実じたいより柿の木のある風景を愛しているのかも知れません。手近なところで例をあげると、青木 光一が「柿の木坂は駅まで三里」と歌えば胸がキュンとなるし、フォークのマイク真木さえ真っ赤に熟れた柿の実をカラスが食べたと歌にしているではありませんか。

 坪内さんによると、それまで和歌では柿を詠うことはなく、まさに俳句が柿を発見したといえるそうです。その柿の句といえば、ご存じのとおり、

      柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺   子規

が人口に膾炙していますが、子規のやしゃご弟子と目される坪内さんにはもちろん独自の読解があります。しかしこれは直接本で見て頂いた方がいいでしょう。ご本人の句としては、

      弟が たいてい利発 柿の家   稔典

とあって、句意はよくわかる気がしますが、これっていささか差し障りがあるのでは?ネンテン先生!

(弁護士 阿部 純二)

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